東慶寺(鎌倉市)
Historic spot TOUKEIJI
東慶寺(鎌倉市)
松岡山東慶寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内(北鎌倉)にある臨済宗円覚寺派の寺院。開基は北条貞時、開山は覚山尼と言われている。1616年(元和2年)大坂城落城の翌年に、豊臣秀頼の娘・天秀尼が、千姫の養女として東慶寺に入り、後に20世住持となった。天秀尼は1645年(正保2年)に37歳の若さで死去したが、その側に「台月院殿明玉宗鑑大姉」と刻まれた宝篋印塔がある。この宝篋印塔には「台月院殿明玉宗鑑大姉」と刻まれており、天秀尼に縁深い人物のものと思われるが、寺にはこの人物に関する文献や伝承は一切ない。この人物に関しては、諸説あるが「のぼうの姫 ― 秀吉の妻となった甲斐姫の実像」を著した三池純正は、この墓が妙印尼輝子の孫娘にあたる、成田家・甲斐姫のものであるという説を唱えている。また江戸時代には、群馬県太田市の満徳寺と共に、幕府寺社奉行も承認する縁切寺となった。
東慶寺の入口
ようやく大人が2人通れるほどの山門
本堂入口
本尊の釈迦如来坐像を祀る本堂「泰平殿」
台月院(甲斐姫?)、天秀尼の墓所
鐘楼の天井には龍の絵が描かれている
江戸時代には、群馬県太田市の満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られていた
参道には、梅、彼岸桜、枝垂桜など、様々な木々が植えられている
天秀尼の墓所へ続く石段
神奈川県鎌倉市山ノ内1367