忍城

Historic spot Oshi Castle

忍城

忍城(埼玉県行田市)

埼玉県行田市にあった日本の城。別名は忍の浮き城。太田金山城と共に関東七名城の一つ。文明10年(1478年)頃、地元の豪族であった成田正等・顕泰父子が、この地を支配していた扇谷上杉家に属する忍一族を滅ぼし、築城したといわれている。戦国時代には、金山城城主である由良成繁・妙印尼輝子の娘が成田氏長に嫁いでおり、そこで甲斐姫が生まれる。しかしながら天正元年(1573年)、成田家と由良家の関係悪化に伴い氏長と娘は離別、甲斐姫はそのまま成田家の長女となり育てられる。忍城は湿地帯を利用した平城。元々沼地だったところに島が点在する地形で、沼を埋め立てず独立した島を曲輪として、橋を渡す形で城を築かれていた。当初は櫓を立てずに本丸は空き地とし、二の丸に屋敷を作ってそこを住まいとしていた。そのため、攻めにくく守りやすい城であったとされる。豊臣秀吉の小田原征伐時には、この特異な地形を活かし籠城戦を行い、唯一、秀吉が落せなかった城として知られ、近年映画(のぼうの城)や小説にもなっている。現在は本丸跡に行田市郷土博物館が開館、御三階櫓なども博物館の一部として復元されている。

忍城冠木門から東小路をぬけると忍城に
忍城堀には水が張られ、浮き城時代の様子を偲ばせる
忍城東門に通じる木橋

忍城城内は落ち着いた雰囲気
忍城東門の横に大きく「忍城址」とある
忍城鐘楼につるされた鐘は、平成4年に再造されたもので、本物は博物館内に展示されている

忍城忍城址に併設されている「行田市郷土博物館」
忍城「忍城おもてなし甲冑隊」の皆さんの勇姿
忍城博物館内。成田家家紋「丸に二引き両」が目に入って来る

埼玉県行田市本丸17-23