光恩寺

Historic spot KOUONJI

光恩寺(千代田町)

赤岩山光恩寺は群馬県邑楽郡千代田町にある真言宗の寺院。開山は古く、寺伝によると雄略天皇が穴穂宮のために、勅して全国に建立せられた九ヶ寺の一つとされ、また推古天皇33年に高麗王より大和朝廷に貢された恵潅僧正が来往し、光恩寺を開いたと言われている。妙印尼輝子の時代には、佐貫庄の末裔である赤井氏の菩提寺となる。境内には館林城を築いた妙印尼輝子の父とも言われる赤井照光の墓がある。

光恩寺光恩寺は千代田町赤岩の利根川岸に位置する。赤岩は水深があり、大型船の終点として利根川を往復する交通の要所となっていた
光恩寺光恩寺は、北関東三十六不動尊霊場の第十一番目の札所にもなっている
光恩寺山門では左右に阿形・吽形の2体の金剛力士像が出迎える

光恩寺阿弥陀堂の裏手にある鐘楼。梵鐘は元禄十六年(1703)9月に作られた。現在千代田町の重要美術品・指定文化財となっている
光恩寺赤井照光の墓は、境内の北東にある城山(堂山古墳)の上にある
光恩寺山号額「赤岩山」。境内は、佐貫太郎資綱の子次郎太郎嗣綱が築いたと伝わる屋敷跡(赤岩城跡)でもある

光恩寺本堂の周囲には土塁や空堀の跡が残っており、城山(堂山古墳)は物見台としても使われていたらしい
光恩寺群馬県指定の重要文化財・阿弥陀三尊像がある阿弥陀堂。永享十二年結城合戦の火事の際に、御仏が自身の足で歩いて難を逃れたという伝承が残っている
光恩寺境内にある日本で最初の女医・荻野吟子の生家の長屋門。これは荻野吟子の関係者との縁により、明治の時代に移築された

群馬県邑楽郡千代田町大字赤岩1041